2009年06月03日
小倉屋のこと
当店も小倉屋の名前がついていますが
よくきかれますがのれんわけです
総本家は随分昔になくなっていまして
分家一同で名乗っています
小倉屋の始祖 松原久七は淡路島の松帆村
(慶野松原とゆう海水浴場がありますがその近くです)
の出身であり、当時長男以外はある年齢になると
大阪で丁稚奉公によこされていました。
松原久七が勤め上げたのは、鬢付け油の小倉屋であり
独立するおり、小倉屋の名前は使っていい、
が同業をすることは許さない。
同じ鬢付け油を扱ってはいけない。
それで松原久七が塩昆布をたいて販売はじめたのが始まりです。
成功して同じ淡路島からどんどん人を呼びました
松原久七は独立するおり同業をすることは許されなかったのに、
非常に反発し、惜しみなく昆布の技術を教え
積極的に独立させたそうです
当店も曽祖父と母が淡路島の出身です(同じ家の出身です)
出るくいは打つ 権益を守るそうゆう風潮が強い世の中ですが
わたくし(店長の松下浩一郎)は違います。
松原久七の精神を忘れず生きていく所存です
昆布 小倉屋昆布 大阪浪漫館
よくきかれますがのれんわけです
総本家は随分昔になくなっていまして
分家一同で名乗っています
小倉屋の始祖 松原久七は淡路島の松帆村
(慶野松原とゆう海水浴場がありますがその近くです)
の出身であり、当時長男以外はある年齢になると
大阪で丁稚奉公によこされていました。
松原久七が勤め上げたのは、鬢付け油の小倉屋であり
独立するおり、小倉屋の名前は使っていい、
が同業をすることは許さない。
同じ鬢付け油を扱ってはいけない。
それで松原久七が塩昆布をたいて販売はじめたのが始まりです。
成功して同じ淡路島からどんどん人を呼びました
松原久七は独立するおり同業をすることは許されなかったのに、
非常に反発し、惜しみなく昆布の技術を教え
積極的に独立させたそうです
当店も曽祖父と母が淡路島の出身です(同じ家の出身です)
出るくいは打つ 権益を守るそうゆう風潮が強い世の中ですが
わたくし(店長の松下浩一郎)は違います。
松原久七の精神を忘れず生きていく所存です
昆布 小倉屋昆布 大阪浪漫館
Posted by シュールまっちゃん@こんぶトラップ
at 12:06
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